吹割岩(ふきわるわ)島原の原城まで地下でつながり、原城落城の時に、死んだはずの天草四郎が、ここを通って生き延びたと言う伝説のある洞窟。天草四郎達は、キリシタン弾圧が厳しくなると、この洞窟を絶好の隠れ場所として密議を重ね、万一に備え、この洞窟から原城までを掘り抜かせていたと伝えられている。昭和60年、熊本商大探検部が洞窟内を探検調査したが、落石などで埋まり、奥へは調査できなかった。